富士電機が新世代IGBTを発表——SiC一辺倒の市場に「Si進化」の選択肢が加わる

シリコン(Si)のIGBT(絶縁ゲート型バイポーラトランジスタ)は時代遅れになった——そう語られる機会が増えた2020年代半ば、富士電機が新世代IGBTを発表した。同社が「第8世代」と位置づけるこのデバイスは、スイッチング損失とオン電圧の両立を従来比で大幅に改善したと公表されており、EV向けインバータや産業用電源など、SiCとの競合ゾーンで正面から戦う構えを見せている。

「なぜ今SiCではなくIGBTなのか」という問いは、単なる材料選択の話に留まらない。コスト構造、供給安定性、システム設計の制約——その答えは、デバイス単体の性能比較よりもずっと複層的だ。

IGBTはなぜまだ戦えるのか

SiCパワー半導体の採用が急拡大する中で、IGBTが依然として大きなシェアを持ち続けている理由は、コストと製造基盤にある。SiC基板はSiウェハに比べてコストが数倍から十倍以上高く、量産体制も発展途上だ。三菱電機がCoherentと8インチSiC基板の共同開発を進めているように、業界全体が200mm化に向けた競争の途上にある。この移行が完了するまでの間、Si IGBTの競争力は失われない、という見方は製造現場でもリアルに存在する。

富士電機の第8世代IGBTが狙うのは、まさにこの「過渡期の隙間」だ。SiCが本格的にコスト競争力を持つまでの2〜5年、性能改善されたSi IGBTがシステム設計者の有力な選択肢になり得る。東芝デバイス&ストレージが2021年にトリプルゲートIGBTで損失を最大40.5%削減したように、Si技術そのものの進化も継続している。富士電機の動きはこの流れに乗ったものと読めるが、第8世代がどのような構造的改良を採用したのかの詳細は、現時点で各技術資料の精査が必要な部分も残る。

損失低減の内訳と「どこで差がつくか」

IGBTの性能を評価する際に核となる指標は、スイッチング損失(Esw)とオン電圧(VCEsat)だ。この二つは基本的にトレードオフの関係にある。オン電圧を下げると定常損失は減るが、スイッチング損失が増える。どちらを優先するかはアプリケーションの動作周波数と電流プロファイルによって変わる。

この構造は、SiC MOSFETにおける短絡耐量とオン抵抗のトレードオフと本質的に同じ問題だ。

SiCの場合、デバイス構造の改良でこのトレードオフを緩和する技術が各社から出てきている。IGBTでも同様のアプローチ、すなわちキャリアプロファイルの精密制御やゲート構造の最適化が第8世代での改善軸になっていると考えられる。富士電機が具体的にどの構造技術を採用しているかは、データシートと技術論文で確認を要する部分だが、業界の方向性としてはこのトレードオフの「壁を動かす」ことが各社共通の課題となっている。

IGBT第8世代を評価する4つの軸
01

スイッチング損失

高周波動作時に支配的な損失。インバータの動作周波数が高いほど影響が大きく、EV用インバータでは特に重視される指標。

02

オン電圧(VCEsat)

定格電流時の飽和電圧。定常動作の導通損失を決める。スイッチング損失とはトレードオフの関係にあり、用途に応じたバランス選定が必要。

03

短絡耐量(SCWT)

過電流・短絡発生時にデバイスが耐えられる時間。保護回路の応答速度との整合が求められ、システム信頼性設計の基準になる。

04

熱抵抗(Rth)

発熱のしやすさと放熱性能を示す。パッケージと放熱設計の自由度に直結し、モジュール化設計では特に判断材料になる。

SiCとの棲み分けはどこで決まるか

「SiCかIGBTか」という問いは、しばしば性能比較の文脈で語られる。だが実際の設計・調達現場では、もう少し複雑な判断が入る。動作周波数、電源電圧レベル、量産規模、そしてサプライヤーの供給安定性がそれぞれ絡み合う。

電圧レベルで見ると、現在のSiCデバイスは650V〜1700V帯でポートフォリオが整備されつつある。例えばonsemiは650Vから1700VまでのSiC MOSFET、SiCダイオード、SiCモジュールを揃えている。富士電機の第8世代IGBTが主に狙う帯域も同様だとすれば、電圧帯での差別化は難しく、むしろシステム温度条件や保護回路の設計コストが判断の分かれ目になる。

SiCが持つ物理的な課題として、ダイが小さく電流密度が高いため、Siデバイスに比べて温度上昇が速い点がある。

この特性は保護回路の設計負荷を高め、ゲートドライバの選定にも影響する。Si IGBTはこの点で設計余裕が大きく、既存の保護回路資産を流用しやすいという実態がある。新世代IGBTへの移行が、完全な設計変更ではなく「既存設計の延長」として進められる可能性は、特に量産移行コストを重視するプロジェクトでは無視できない判断材料になる。

富士電機の立ち位置と競合の動き

国内のパワー半導体市場を見ると、IGBTでは富士電機、三菱電機、東芝が主要プレイヤーとして並ぶ。三菱電機がSiCトレンチ型でp型保護層を導入し短絡耐量の向上を図ったように、各社ともSiC側での技術投資を続けている。一方でSi IGBTの世代更新も止めていない点は共通している。

ロームが第4世代SiC MOSFETで低オン抵抗と高短絡耐量の両立を訴求しているように、SiC陣営もトレードオフ改善で訴求軸を絞ってきた。このような競合環境の中で富士電機が新世代IGBTを投入するタイミングは、「SiCの優位が確立する前に市場シェアを固める」という戦略的な意図と重なる。

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このグラフが示すのは、IGBTとSiCの「住み分け」が動作周波数によって自然に生じているという構造だ。20kHz以下の領域では新世代IGBTの改善効果が最も生きやすく、それ以上の周波数ではSiCの低スイッチング損失が優位になる傾向がある。用途別の動作条件を整理することで、どちらが適切かの判断が立てやすくなる。

技術選定と調達の両面で今見ておくべきこと

新世代IGBTの登場は、既存のSiC移行計画を即座に覆すものではないが、選択肢の再評価を促すきっかけにはなる。特に2026〜2028年の製品化タイミングを想定した開発プロジェクトでは、デバイス選定をSiC一択で固めている段階であれば、改めて比較検討を入れる余地がある。

技術と調達の両面で整理すると、判断材料はいくつかの層に分かれる。

新世代IGBT vs SiC MOSFET:技術・調達の判断分岐点
01

動作周波数と損失のバランス

20kHz以下の用途では新世代IGBTの改善幅が効きやすい。それ以上の高周波用途ではSiCの低Eswが優位になるため、まず動作周波数を確認するのが出発点。

02

保護回路の設計コスト

SiCは電流密度が高く温度上昇が速いため、DESAT保護回路のパラメータ設計が複雑になる。既存IGBT用ゲートドライバを流用できるかどうかが、移行コストの大きな分岐点になる。

03

供給リスクとデュアルソース

SiCウェハの調達集中度はまだ高い。IGBTは製造基盤が成熟しており複数社からの調達が現実的。供給途絶リスクとの兼ね合いで、新世代IGBTを「保険」として並行評価するアプローチも取れる。

04

コスト推移の読み方

SiCのコストは8インチ化と量産拡大で下がり続けると見られているが、時間軸は不確実。2〜3年先の調達価格見通しを複数シナリオで持っておくことが、製品ロードマップの選択肢を広げる。

富士電機が第8世代IGBTをどのアプリケーション向けに優先展開するか、量産時期と価格水準をどう設定するか——これらの詳細が明らかになるにつれ、SiC対IGBTの地図は少しずつ書き換えられていく可能性がある。「どちらが勝つか」という二項対立よりも、「どの条件でどちらを使うか」という問いの解像度を上げることが、この局面での実質的な判断軸になる。