EUの炭素国境調整メカニズム(CBAM)は2023〜2025年の移行期間(報告義務のみ・証書購入不要)を終え、2026年1月から本格適用フェーズに入った。対象セクターは鉄鋼・アルミニウム・肥料・セメント・水素・電力の6品目群。輸出企業はEU輸入者を通じてCBAM証書を購入する義務を負い、その価格はEU排出量取引制度(EU ETS)の市場価格に連動する。日本からEUへの輸出で主に影響を受けるのは鉄鋼製品・アルミ製品・化学品の一部だ。

CBAMの制度設計——仕組みと課金ロジック

CBAMは「EUで製造すれば炭素コストを負担するが、非EU製の製品はその義務を免れる」という不公平を是正するための制度だ。EU ETSでは製造業者が排出枠を購入する義務があるため、脱炭素コストが製造原価に反映される。CBAMはこの炭素コストをEU外からの輸入品にも等しく課すことで、カーボンリーケージ(炭素規制の厳しい国の生産が規制の緩い国に移転する現象)を防ぐ。

課金の計算式: CBAM証書購入コスト = 輸入品の埋め込み排出量(tCO2) × EU ETSの炭素価格(ユーロ/tCO2)

EU ETSの炭素価格は2024年に60〜90ユーロ/tCO2の水準で推移している。1,000トンの鉄鋼製品を輸出し、埋め込み排出量が製品トン当たり1.8tCO2とすると、証書購入コストは1,800tCO2 × 70ユーロ = 126,000ユーロ(約2,000万円)に達する。

デフォルト値のリスク:自社の排出量算定値を申告できない場合、EUが設定するデフォルト値が適用される。デフォルト値は各セクターの上位10%高排出企業ベースで設定されており、自社の実際の排出量より大幅に高い値になるケースが多い。自社算定を行うことで証書購入コストを実質的に削減できる。

対象セクターと日本からの輸出影響

対象6品目のうち、日本からのEU向け輸出で金額的に大きいのは鉄鋼製品(自動車部品・産業機械向け特殊鋼など)とアルミニウム製品(押出材・鋳物等)だ。肥料・セメント・水素は日本からEUへの直接輸出量は限定的だが、日本企業が欧州現地生産する拠点経由での影響は別途確認が必要だ。

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注意が必要な点として、CBAM対象はHSコードで細かく指定されており、「鉄鋼製品」の全てが対象になるわけではない。例えば、特定の加工度を持つ鉄鋼は対象外になる場合がある。自社の輸出品目ごとにHSコードを照合し、対象範囲を正確に把握することが実務の第1ステップになる。

CBAM対応の実務3ステップ

CBAM対応の実務3ステップ
01

埋め込み排出量の算定体制を整える

製品1トン当たりの直接排出量(Scope 1)と間接排出量(Scope 2)の算定が求められる。EU規則(2023/1773号)が定める算定方法論に準拠する必要があり、工場エネルギーデータの粒度が算定精度を左右する。製品別(品番・グレード別)の排出量算定が必要になるため、生産工程ごとのエネルギー配賦方法の設計が技術的に最も難しい部分だ。

02

EU輸入者との情報連携を確立する

CBAM申告はEU輸入者が行うが、排出量データの提供は日本の製造元が担う。輸入者が必要とするデータ形式・提出タイミング・責任分担を書面で合意しておくことが紛争回避につながる。EU輸入者がCBAM申告を行う際に日本製造元の排出量データが必要になるため、データ提供の契約条項を年次取引合意に組み込むことが推奨される。

03

デフォルト値との乖離を試算する

自社算定値がEUのデフォルト値(各セクターの上位10%高排出企業ベース)を下回る場合、証書購入コストが削減できる。乖離が大きいほどCBAM対応の投資効果が高いため、まず自社値とデフォルト値の比較を行う。高炉・電炉・製造プロセスの違いによって実排出量が大きく変わるため、デフォルト値との乖離は企業によって差がある。

中小輸出企業の現実

CBAM対応で難しいのは、EU向け輸出比率が低く専任担当者を置けない中小輸出企業だ。大手商社・輸出代理店経由でEU輸入者と間接的に取引しているケースでは、CBAM要求事項が中間業者を通じて伝達される際に情報が欠落するリスクがある。

中小輸出企業のCBAMリスク管理3点
01

EU向け出荷先の洗い出し

直接・間接を問わずEU向けに対象品目を輸出しているかを確認する。商社経由の場合でも最終仕向地がEUであれば対象になる可能性があるため、商流を遡って確認することが必要。HS分類と仕向地の組み合わせで毎年の輸出量を集計し、CBAM証書購入コストの試算を行う。

02

工場別エネルギーデータの整備

CBAM算定に必要なのは工場別の電力・燃料消費量と生産量の組み合わせ。現状でこれが把握できていない場合、まず電力メーター・ガスメーターの設置から始めることになる。省エネ法の定期報告書作成に使っているデータをCBAM算定に流用できるか確認することで、新規の計測設備投資を最小化できる可能性がある。

03

業界団体情報の活用

日本鉄鋼連盟・日本化学工業協会等の業界団体がCBAM対応のガイドラインを公開している。自社単独で対応方法論を構築するより、業界共通の算定フォーマットを活用する方が効率的だ。業界団体の共同交渉でEU規則への日本企業としての意見反映を行う動きもあり、参加することで情報入手コストを下げられる。

2026年以降のコスト影響の試算

EU ETSの炭素価格は2030年に向けて100〜150ユーロ/tCO2程度に上昇する見通しを持つ予測機関が多い。この水準になると、鉄鋼製品の輸出コストに与える影響は現在の1.5〜2倍になる。炭素コストが製品価格に転嫁できるかは市場競争力次第であり、転嫁できない場合はEU向け輸出の採算性に直接影響する。

脱炭素化投資(電炉転換・再エネ切り替え・省エネ設備)による自社排出量削減がCBAMコストを直接削減することから、CBAM対応コストを削減目的での脱炭素投資のROI計算に組み込むことで、投資の経済合理性が向上するケースがある。

CBAMは移行期間中に報告義務対応を済ませてきた企業と、対応を先送りしてきた企業で2026年以降の負担に大きな差が生じる。埋め込み排出量の自社算定値をデフォルト値より低く証明できるかどうかが、毎年の証書購入コストに直接影響する。対応が遅れた企業は、デフォルト値適用というコスト上の不利を抱えながら対応体制の整備という二重の課題に直面することになる。