スコープ3排出量は、スコープ1・2(自社操業と購入電力)の平均11.4倍に達するとSBTiは説明する(CDP 2022年グローバル・サプライチェーン報告)。多くの企業にとって、バリューチェーンに広がる間接排出こそが排出量の大部分を占めており、スコープ1・2だけを削減しても脱炭素目標の達成には程遠い。しかし「サプライヤーから何をどう集めるか」という実務の問いに対して、明確な答えを持てている企業は多くない。本稿では、GHGプロトコルと環境省のガイダンスをもとに、一次データ収集の実務手順を整理する。
なぜ一次データが求められるのか
GHGプロトコルは2022年12月、企業がスコープ3 GHGインベントリを構築する際にサプライヤーからGHGデータを収集するための専門ガイダンスを発行した。同ガイダンスは「企業バリューチェーン(スコープ3)算定・報告基準」に基づくスコープ3インベントリのみならず、製品ライフサイクルGHGインベントリへの適用も対象としており、業種平均値や推定値に依存しない一次データ収集の手順を体系化している。
二次データ(業種平均値・排出係数)を使ったスコープ3算定は、コストと時間の面では手軽だが、精度には限界がある。GHGプロトコルの算定・報告標準はデータ品質を5つの指標——技術的代表性、時間的代表性、地理的代表性、完全性、信頼性——で評価するよう求めており、一般的な排出係数データベースはこれらの指標をすべて満たすとは言えない。一次データ収集が重要なのは、この品質要件をクリアするためだけでなく、削減努力が算定値に反映されるかどうかという点でも決定的な違いをもたらすからだ。サプライヤーが実際にエネルギー効率を改善しても、二次データを使い続ける限りその成果は自社のスコープ3算定値には現れない。
開示規制の側面でも、一次データ収集の重要性は年々高まっている。TCFDとISSB(国際サステナビリティ基準審議会)がスコープ3開示を求める方向に動いたことで、サプライチェーン全体での排出量データ共有要求は急加速した。日本では、SSBJ(サステナビリティ基準審議会)が2025年3月5日にISSB基準に準拠した日本版サステナビリティ開示基準を公表し、上場企業に対するスコープ3開示の義務化が視野に入っている。GHGプロトコルの標準は、サプライヤー等から取得したデータで算定した排出割合を開示するよう企業に求めており、一次データ収集の割合が開示品質に直結する構造になっている。
誰から集めるか——上位集中の原則
全サプライヤーに同じ水準の一次データを求めることは、現実的でもなく効率的でもない。GHGプロトコルの算定ガイダンスは、コーヒー豆の調達例として「100社中10社のサプライヤーが購入量の85%を占める」ケースを挙げ、この上位10社から一次データを収集すれば、購入量ベースで85%分の精度向上が実現できると説明する。残りの90社分は二次データや業種平均値で補完できる。少数の高影響サプライヤーに集中することで、全体の算定精度を大幅に高められる。
この原則を実際の調達戦略に落とし込んでいる先行事例としてAstraZenecaが挙げられる。同社は購入品・サービスおよび資本財を対象に、支出ベースで95%をカバーする上位サプライヤーがFY2025までにSBT(科学的根拠に基づく目標)を設定することを要件として掲げた。上流輸送・出張関連サプライヤーについては同じく支出ベースで50%を目標とし、2023年末時点ですでに上位サプライヤーの85%(約3,500社)と脱炭素エンゲージメントを実施済みとしている。AstraZenecaがこの対象選定に用いているのが「支出額×排出カテゴリ」のマトリクスで、高支出かつ高排出のカテゴリに属するサプライヤーを優先することで、限られたリソースを集中投下している。
購入品・サービス/資本財
支出ベースで95%をカバーするサプライヤーがSBTを設定することを要件とする。
上流輸送・出張
支出ベースで50%をカバーするサプライヤーがSBTを設定することを目標とする。
現在のエンゲージメント状況
2023年末時点で上位サプライヤーの85%(約3,500社)と脱炭素エンゲージメントを実施中。
優先順位付けの軸
支出額と排出カテゴリのマトリクスで分類し、高支出・高排出のサプライヤーを最優先でエンゲージ。
SBTiへの目標提出を検討している企業は、スコープ3が自社総排出量の40%以上を占める場合、近中期の科学的目標にスコープ3削減を含める必要がある。さらにサプライヤーエンゲージメント目標は提出日から5年以内の達成が求められており、目標提出のタイミングを見据えたエンゲージメント設計が不可欠になる。
何を収集するか——カテゴリ別の収集項目
スコープ3は15カテゴリで構成されるが、製造業においてはカテゴリ1(購入した製品・サービス)とカテゴリ4(上流輸送・配送)が特に優先度が高い。
カテゴリ1の最低算定境界は「cradle-to-gate」排出、すなわち購入した製品・サービスの採掘・製造・輸送に至る全上流排出を対象とする。サプライヤーへの依頼項目は、製品単位のGHG排出原単位(tCO2e/製品または tCO2e/kg など)が理想だが、入手困難な場合は製造段階での燃料使用量・電力消費量・生産量の実績値から算定できる。対象ガスはCO2・CH4・N2O・HFCs・PFCs・SF6・NF3の7種で、排出量はtCO2e(CO2換算トン)に統一して収集することで、社内での集計と開示対応が容易になる。
カテゴリ4の上流輸送では、輸送事業者から燃料使用量データが入手できる場合、燃料ベース法を優先する。GHGプロトコルは燃料ベース法が距離ベース法よりCO2算定精度が高いと明記しており、燃料消費と排出量の間に直接的な対応関係があることがその理由だ。燃料データが入手できない場合は、輸送距離と積載率の積から推計する距離ベース法を用いる。
カテゴリ1:購入した製品・サービス
製品単位のGHG排出原単位(tCO2e/製品)を優先。入手困難な場合は燃料使用量・電力消費量・生産量の実績値から算定。対象ガスはCO2・CH4・N2O・HFCs・PFCs・SF6・NF3の7種。
カテゴリ2:資本財
カテゴリ1と同じくcradle-to-gate排出が最小境界。設備の製造時GHG排出原単位をメーカーから取得できれば精度が上がる。
カテゴリ4:上流輸送・配送
燃料使用量データがあれば燃料ベース法を優先。入手困難な場合は輸送距離×積載率から推計する距離ベース法を用いる。
共通:データ統一フォーマット
排出量はtCO2eで統一。収集割合とデータ品質スコア(5指標)をセットで管理し、開示対応に備える。
どの階層まで求めるか——Tier構造と連鎖設計
環境省の「1次データを活用したサプライチェーン排出量算定ガイド(v1.0)」は、Tier1→Tier2→Tier3という多段階連鎖構造を規定している。Tier1が自社の直接取引先、Tier2がTier1の調達先、Tier3がさらにその上流と定義され、各層が直接取引先からデータを収集して上位へ伝達する。バリューチェーンの最上流まで一次データで埋めることが理想だが、全層を一度に整備するのは現実的でない。
実務的な着手点は、Tier1全件への依頼フォーマット標準化だ。フォーマットを標準化しておくことで、Tier1が同じ様式をTier2に展開しやすくなる。これにより連鎖的な収集が自然に促進され、Tier2・Tier3の整備は大企業との取引が生む事実上の義務として自律的に広がっていく。
GHGプロトコルの標準はサプライヤー等から取得したデータで算定した排出割合の開示を求めており、収集割合とデータ品質スコアをセットで記録・管理することが、将来的な開示対応の精度を左右する。
中小サプライヤーへの対応
バリューチェーン上の中小企業の多くは、GHG算定の必要性を認識していないか、算定のノウハウを持っていない。大企業がスコープ3算定を進める際に、サプライチェーン上の中小企業がGHG算定の必要性を認識していないケースが実務上の障壁となっており、環境省ガイドも依頼事項の設定水準の判断をサプライチェーン対応の主要課題として挙げている。
スコープ3開示は中小企業への直接の法的義務は少ないが、大企業の取引条件として事実上求められるケースが増加し、取引継続と密接に結びつく局面も出始めている。対応策としては、算定ツールや無償リソースへの誘導が有効だ。環境省が公開する算定ツール(v1.0)はサプライヤー側も利用でき、依頼フォーマットとしてそのまま渡せる形式になっている。SBTiもSME向けに簡易バリデーションルートを設けており、SME Climate Hubの無償ツールを使ってスコープ1・2のみで目標設定できるルートを案内することで、算定開始のハードルを大幅に下げられる。
なお、SBTiのサプライヤーエンゲージメント目標に含まれるサプライヤーは、最低限スコープ1・2の科学的目標設定が求められ、当該サプライヤーのスコープ3が総排出量の40%以上を占める場合はスコープ3目標の追加設定も必要となる。依頼段階でこの要件を伝えておくことが、後工程での手戻りを防ぐ。取引条件として圧力をかけるより、算定支援を提供しながら共同削減のメリットを示すアプローチが、サプライヤー側の自発的な参加を促す。
経営企画・調達部門への示唆
まず年間調達額上位とスコープ3カテゴリ(特にカテゴリ1・4)の重複マトリクスを作成し、高支出・高排出の上位20%サプライヤーを特定する。次にGHGプロトコルのサプライヤーエンゲージメントガイダンスと環境省ガイド(v1.0)を参照しながら依頼フォーマットを設計する。依頼項目の基本は燃料使用量・電力消費量・生産量・輸送燃料量(または輸送距離)の4項目で、製品別GHG排出原単位が入手できる場合はそちらを優先する。
① 優先マトリクスの作成
年間調達額上位とスコープ3カテゴリ(カテゴリ1・4を中心)の重複を整理し、高支出・高排出のサプライヤー上位20%を特定する。
② 依頼フォーマットの設計
燃料使用量・電力消費量・生産量・輸送燃料量の4項目を基本とし、GHGプロトコルと環境省ガイド(v1.0)を参照する。製品別GHG排出原単位が入手できる場合はそちらを優先。
③ Tier1から連鎖展開
Tier1全件への依頼を完了させ、フォーマットを固める。Tier1が同じフォーマットをTier2に展開できるよう設計しておく。
④ SBTi要件との整合確認
スコープ3が総排出量の40%以上を占める場合、SBTi近中期目標にスコープ3削減を含める必要がある。サプライヤーへの目標設定要求(最低スコープ1・2のSBT)を依頼段階で明示する。
SBTiへの目標提出を検討している企業は、提出日から5年以内にサプライヤーエンゲージメント目標を達成する必要がある。エンゲージメントの設計段階からSBTiの要件を組み込んでおくことが、将来的な開示対応の工数削減につながる。
