TNFD(Taskforce on Nature-related Financial Disclosures)は2023年9月に最終提言(v1.0)を公表した。生物多様性・水・土地・海洋という4つの自然領域に関わるリスクと機会を、企業の財務報告に組み込むためのフレームワークだ。TCFDが気候変動リスクの開示を定着させたのと同様に、TNFDは自然資本の毀損リスクを財務情報として可視化することを目指している。2024年以降、大手機関投資家や欧州企業が自然関連リスク情報の収集を本格化しており、日本企業でも先行的な開示が始まっている。

TNFDとTCFDの構造的な共通点と相違点

TCFDとTNFDは「ガバナンス・戦略・リスク管理・指標と目標」という4柱構造を共有しており、企業がTCFD報告体制を整えていればTNFDへの移行コストが抑えられるという設計になっている。ただし自然関連リスクの特性からTCFDとは根本的に異なる部分がある。

TCFDとTNFDの主要な違い
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場所依存性——立地によって重要度が変わる

気候変動リスクはグローバルに均質な影響を及ぼすが、自然関連リスクは立地する生態系の希少性・脆弱性によってリスクの大きさが大きく異なる。同じ産業でも熱帯雨林に隣接する工場と都市郊外の工場では評価が全く変わる。

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バリューチェーン依存性——上流の自然利用がリスクを決める

気候リスクは主にエネルギー利用(Scope 1・2)から生じるが、自然関連リスクはサプライチェーン上流の農業・採掘・林業の土地利用に強く依存する。自社の操業よりもサプライヤーの土地利用が自然リスクの主要因になるケースが多い。

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定量指標の多様性——GHGのような単一指標がない

気候リスクはGHG排出量tCO2eという単一指標で統一されているが、自然関連リスクは生物多様性損失・水消費量・土地利用変化など複数の異なる指標が存在し、業種横断での比較が困難。TNFDは現在も指標の国際標準化を進めている段階だ。

TNFDがTCFDと異なる3つの点

TCFDと同じ「ガバナンス・戦略・リスク管理・指標と目標」の4柱構造を採用しているが、自然関連リスクの特性からTCFDとは異なるアプローチが求められる部分がある。

第一は「場所依存性」だ。気候変動リスクはグローバルに均質な影響を及ぼすが、自然関連リスクは立地する場所によって生態系の希少性・脆弱性が大きく異なる。自社工場・調達先が位置するバイオーム(熱帯雨林・湿地・沿岸域等)や水ストレス地域との重なりを特定することが、リスク評価の出発点になる。TNFDはこのための分析ツールとして「LEAP(Locate-Evaluate-Assess-Prepare)」アプローチを採用している。

第二は「バリューチェーン依存性」だ。自然関連リスクは自社拠点だけでなく、原材料調達先の土地利用・水利用・化学物質使用に強く依存する。農産物・木材・鉱物資源などを使用する製造業は、上流サプライチェーンの土地利用変化や生物多様性への影響が、自社の原材料調達リスク(価格・供給安定性)に直結する。

第三は「データ整備の困難さ」だ。気候関連リスクはGHG排出量という定量指標があるが、自然関連リスクは生物多様性の消失面積・水消費量・汚染物質排出量など指標が多様で、業種横断的な比較がTCFDより難しい。TNFD採用初期段階では定量指標より定性的なリスク評価が現実的な出発点になる。

TNFD LEAP分析アプローチの4ステップ
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L:Locate(場所を特定する)

自社の事業活動・バリューチェーンが自然と接点を持つ場所を特定する。工場・農場・採掘サイトの立地と、生物多様性重要地域(WDPA・KBA等)や水ストレス地域(WRI Aqueductデータ)との重なりをGISマッピングで確認する。

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E:Evaluate(自然依存度・影響を評価する)

特定した場所での自然への依存度と影響を評価する。水取水量・土地利用面積・汚染物質排出量・生息地転換面積が主な評価指標になる。SBTNが提供する科学的根拠ベースの評価ツールが活用できる。

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A:Assess(重要なリスクと機会を評価する)

評価結果を踏まえて財務的に重要なリスク(自然資本の劣化による原材料調達リスク・規制リスク・評判リスク)と機会(自然資本サービスの活用・生態系の回復による事業継続性向上)を特定する。

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P:Prepare(開示・目標設定に備える)

特定されたリスク・機会を報告書に開示する準備を行い、SBTNの自然関連の科学的根拠に基づく目標(自然SBTs)への接続を検討する。初年度は特定と評価の範囲と方法論の透明な開示が優先。

製造業でのTNFD優先対象領域

製造業が自然関連リスクを評価する上で優先度が高い領域は業種によって異なるが、広く共通する3領域がある。

第一は水リスクだ。製造工程での水取水量が多い業種(食品・繊維・半導体・化学)は、水ストレス地域での操業に伴う取水制限リスク・廃水規制強化リスクが財務影響として現れやすい。半導体製造では超純水の大量使用が不可避であり、工場立地選定から水リスクが意思決定に組み込まれるケースが増えている。

第二は農産物・木材由来原材料の調達リスクだ。パーム油・大豆・木材・皮革など森林破壊リスクの高い原材料を使用する製造業は、サプライチェーン上流での土地利用変化が自社の調達リスクおよびEU森林破壊防止規則(EUDR)への対応義務に直結する。

第三は採掘系原材料の鉱山環境影響だ。コバルト・リチウム・銅・レアアースなどの採掘は生態系への大きな影響を伴う。これらを含む製品を販売する場合、TNFD開示対象企業からサプライヤーとして情報提供を求められるリスクがある。

製造業のTNFD対応優先度——業種別の自然関連リスク
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水集約型製造(半導体・食品・繊維・化学)

工場立地の水ストレス地域への重なりを確認し、取水量・排水量の実績データを整備することが第一優先。WRI Aqueductで工場立地の水リスクスコアを確認できる。

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農産物・林産品を原材料とする製造

パーム油・大豆・木材・紙など熱帯雨林破壊と関連する原材料の調達元を特定する。EUDR対応と合わせてサプライチェーントレーサビリティ整備が急務。

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EV・蓄電池・電子機器製造

コバルト・リチウム・ニッケル等の採掘は生態系影響が大きい。鉱山の認証(IRMA・RMI等)確認とサプライチェーン情報の整備が、TNFD開示とEU電池規則への対応を兼ねる。

TNFD開示の規制的位置付けと強制化の動向

TNFDの提言自体は法的強制力を持たないが、国際的な規制・基準との連携が進んでいる。EUは欧州グリーンディール・生物多様性戦略のもとで、CSRDの報告基準(ESRS E4「生物多様性と生態系」)にTNFDと整合する自然関連情報の開示を義務付けている。CSRD対象企業(EU子会社を持つ日本企業を含む)は、2026〜2028年にかけてTNFDと整合した自然関連開示が必要になる。

日本でも環境省・金融庁がTNFDフレームワークを参照した企業向けガイダンスを2024年に公表しており、上場大手企業の統合報告書にTNFDに基づく開示が増えている。現状は任意開示だが、SSBJが将来的に自然関連開示基準を策定した場合、有価証券報告書への反映が求められる可能性がある。

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開示を始めるための現実的なスタート地点

TNFD開示は2024〜2025年に先行した欧州・日本の大企業が試行的な開示を始めており、2026〜2028年にかけて中堅企業への波及が予想される。初年度の開示は「LEAPアプローチのLとEの実施結果(高リスク拠点の特定と評価)」を開示し、今後のA・Pへの移行計画を示すという段階的なアプローチが現実的だ。

具体的な最初のステップとして、WRI Aqueductの公開データを使って自社工場・主要調達先の立地と水ストレスマップの重なりを確認するだけでも、リスクの優先順位付けの第一歩になる。Aqueductは無料で使用でき、工場座標を入力するだけで水リスクスコアが取得できる。

TNFDはTCFDと同様に法的義務ではなく自主開示の枠組みだが、欧州CSRD・EU生物多様性戦略との連携が進んでおり、主要取引先が開示を始めれば同様の圧力がサプライヤーに波及する動きは、TCFDが辿ってきた道と同じパターンになるとみられる。まず水リスクの拠点マッピングから着手し、段階的に開示範囲を広げることが現実的な対応のロードマップになる。