1584億円の赤字が意味するもの——ロームSiC事業の構造的危機
2025年3月期、ロームは連結営業損失1584億円を計上した。この数字自体も衝撃的だが、より深刻なのは、その損失の大部分がSiC(炭化ケイ素)事業の在庫評価損と設備過剰に起因するという点だ。「次世代パワー半導体の本命」として積み上げてきた投資が、需要の踊り場でそのまま損失に転じた構図である。
ロームはSiCパワー半導体において世界で最も早期から量産を手がけたメーカーのひとつだ。2010年代前半からSBD(ショットキーバリアダイオード)とMOSFETの量産ラインを整え、EV向け需要の拡大を見越して積極的な設備投資を続けてきた。その戦略が、2024年以降のEV需要失速と市場価格の急落というタイミングで一気に逆回転した。
EV失速とSiC過剰在庫——何がこのタイミングで重なったか
SiC市場全体が2023年後半から需要の踊り場に入ったことは、業界内では広く認識されている。テスラによるSiCモジュール削減方針の示唆、中国EV市場での価格競争激化、欧州OEMによるEV投入計画の後退——これらが重なり、各社が拡張してきたSiCの生産能力が一斉に過剰に転じた。
ロームの場合、それがとりわけ大きな数字になった背景には、同社の独立系サプライヤーとしての立ち位置がある。InfineonやSTMicroelectronicsが垂直統合や長期契約を活用して需要の変動を吸収しやすい構造を持つのに対し、ロームはディスクリート・ベアダイ・モジュールの幅広いラインアップでオープン市場向けに販売する比重が高い。市場が縮むと、在庫が積み上がる速度が早い。
2024年3月期:最初の警戒信号
EV需要の踊り場が始まり、SiCデバイスの在庫が積み上がり始めた。営業利益は大幅減少。この時点では「一時的な調整」との見方が社内外に残っていた。
2025年3月期:赤字転落
在庫評価損と稼働率低下が直撃し、営業損益は約400億円の赤字に。EV市場の回復が見込めない中、SiC設備の過剰感が顕在化した。
2026年3月期:減損を一括計上
SiC生産設備を中心に1936億円の減損損失を計上。営業損益自体は+108億円に回復したが、特別損失が膨らみ純損失は1584億円と過去最大となった。社長は「膿み出し切った」と表現した。
デンソーのTOB撤回——業界再編の軸が変わった
ロームをめぐる動きで見落とせないのが、デンソーとの資本関係をめぐる一連の経緯だ。デンソーは2026年2月、ロームの全株取得を視野に入れたTOB(株式公開買い付け)を提案した。半導体事業の強化を狙った大型M&Aとして注目を集めたが、ロームの社外取締役らで構成する特別委員会が「提案に賛同する結論に至らなかった」と判断。4月28日、デンソーは買収提案を正式に撤回した。
デンソーの林社長は「これ以上協議を進めても、両社の価値向上に至るシナリオが描けなかった」と述べている。TOBという資本統合の枠組みは消滅した一方、両社は「人的交流と共創活動を継続する」ことを合意しており、アナログ半導体を中心とした協業の関係自体は維持される。ただし、「財務基盤の強化」「需要の錨」という意味でのデンソー活用は、少なくとも現時点では実現しなかった。
東芝・三菱電機との統合交渉——業界再編の震源になるか
さらに踏み込んだ動きとして報じられているのが、東芝デバイス&ストレージおよび三菱電機のパワー半導体事業との統合に向けた交渉だ。もしこれが現実になれば、日本のパワー半導体業界の構造は根本から変わる。
三者が持つ技術・製品の軸は以下のように整理できる。
ローム
SiCディスクリート・ベアダイの早期量産実績。第4世代MOSFETで低オン抵抗と高短絡耐量の両立を追求。独自デバイス構造での差別化に強み。
三菱電機
トレンチ型SiC-MOSFETでp型保護層を導入し短絡耐量を大幅向上。鉄道・産業用の大容量モジュールに強く、信頼性評価の蓄積が厚い。
東芝デバイス&ストレージ
Si IGBTのモジュール事業で産業・電力インフラ向けの顧客基盤を持つ。SiCへの移行タイミングとラインアップ整備が競争力の鍵。
統合が実現すれば、製品ラインの補完だけでなく、製造工程や検査技術の標準化、調達交渉力の向上といった面でもスケールメリットが生まれる可能性がある。一方で、文化・組織の統合コストや、顧客からの「競合他社と同じ傘の下に入るリスク」という懸念も現実的な課題として残る。
欧州では、Infineonによる買収戦略やSTとのアライアンスが市場集約を加速させてきた。日本のパワー半導体メーカーがここまで踏み込んだ統合を議論しているのは、そうした国際競争を意識した動きと読める。交渉がどこまで進むかは未確定だが、「交渉の存在自体」が業界の力学を変え始めている。
短絡耐量とデバイス競争力——技術が問われる理由
統合交渉が進むにせよ独立路線が続くにせよ、ロームが市場で評価を回復するには製品の技術競争力が前提になる。その観点で今、業界の評価軸として重要になっているのがSiC MOSFETの「短絡耐量(SCWT:Short Circuit Withstand Time)」だ。
短絡耐量とは、負荷短絡時にデバイスが破壊されるまでの時間を指し、保護回路が働くまでの猶予時間を決める指標だ。SiCはダイが小さく電流密度が高いため、同等のSiデバイスに比べて温度上昇が速い。Microchip社の700V/1200V耐圧品では、特定条件下でtyp. 3μsとデータシートに記載されている例がある——これはシリコンIGBTの10μs前後と比較すると明らかに短く、保護回路の設計に直接影響する数字だ。
短絡耐量とオン抵抗(Ron)はトレードオフの関係にある。オン抵抗を下げてスイッチング損失を減らすほど、短絡時の飽和電流が増え、デバイスへの熱ダメージが速まる傾向がある。ロームの第4世代SiC MOSFETは独自のデバイス構造でこのトレードオフを緩和していると公表しており、三菱電機もトレンチ型でのp型保護層導入で同じ課題に取り組んでいる。統合交渉の文脈で見ると、この技術アプローチの違いが「統合後の製品ロードマップをどう引くか」という実務的な問いに直結する。
保護回路の設計においては、DESAT(デサチュレーション)機能が標準的な手法として用いられる。DESATはオン状態のドレイン-ソース間電圧(VDS)を監視し、過電流を検出するとデバイスをオフさせる仕組みで、設計上はDESATトリガー閾値(VDESAT)、DESAT電流(IDESAT)、短絡ブランキング時間の調整が判断材料になる。
では、何を見ておくか——技術・調達・事業のそれぞれの問い
ロームの1584億円損失は、一社の決算異変としてではなく、SiC業界全体の需給サイクルが最初の大きな山を越えた証左として読んだほうが実態に近い。
技術と調達の両面で今見ておきたい論点を整理すると、次のようになる。
デバイス選定:短絡耐量の条件確認
ドレイン印加電圧・ゲート電圧・ジャンクション温度によって短絡耐量は変わる。カタログのtyp値だけでなく、自社の使用条件下での余裕を確認することが選定の手がかりになる。
調達:サプライヤーの財務健全性と提携構造
ロームのような大規模損失は、調達先の供給継続性リスクとして評価材料になる。デンソーとの提携や統合交渉の進展は、供給体制の安定度を見る上でフォローしておく価値がある。
事業・市場:日本メーカーの再編シナリオ
東芝・三菱電機との統合交渉が現実になれば、日系サプライヤーの競合構造が大きく変わる。事業開発・投資判断の観点では、交渉の進展速度と統合後の製品ラインアップ方針が次の焦点になる。
SiC市場は縮んだのではなく、EVから産業用途・データセンター・太陽光へと需要の重心が移動する過渡期にある、という見方が業界内では広がっている。ロームが今進めている財務の立て直しと提携・統合の交渉は、その過渡期をどう乗り切るかという問いへの答えを模索するプロセスだ。答えが出るのは、おそらくもう少し先になる。
